日誌

2012年10月の記事一覧

むしろ

 県立高校への移管・・・。ってどういう意味だかわかりますか?
 
 1学期に書きっぱなしで終わっていましたが、皆野高校は「組合立秩父東高等学校皆野分校」として、商業科男子40名でスタートした学校です。なんでも第1期生には皆野中学からの入学生がいなかったとも聞いております。(20周年記念誌より、間違っていたらお知らせください)
 「卒業生には県立高校の卒業証書を」
 おそらくこれが、関係者の偽らざる気持ちだったのではないでしょうか。この辺のことは、皆野高等学校の20周年記念誌に詳しく書いてあります。
 
 秩父東高校を県立高校に・・・同時に皆野分校も県立にという動きが活発になっていった背景にあったものは、先に書いたような大人たちの生徒たちに対するまっすぐな気持ちであったと思います。しかし、そのハードルは、思った以上に高かったようです。紆余曲折あって、結局こんな感じで決まったようです。
 「まず、最初の卒業生を出す秩父東高校を県立高校にする。皆野分校は、次の年に最初の卒業生を出すので、それまでに県立高校にする。なお、皆野分校は秩父東高校の県立学校化にともない、独立する。また、早急に学校を建設する土地を探してほしい。(秩父農工定時制皆野分校の校舎を借りたり、中学校を統合したため使わなくなった皆野中学校の校舎を使用していたため)」
 
 なかなか動かなかった埼玉県が動いたのはなぜか?
 当時開催されていた埼玉国体。ここで「世の中に、自分たちの考えをうったえたい」と関係者から聞かされたからだという。
 
 当時、秩父東高校の校長室にいくつも運ばれたもの。それは「むしろ」だった。むしろに県立学校化を望んでいること書いて、国体を観戦にいらっしゃることになっていた天皇陛下に見せて、世の中にうったえる・・・・。これにあわてた県が下した決定であると聞いている。
 
 古くから皆野高校にかかわっている人が、皆野高校の歴史を語るとき必ず登場するエピソードである。
 
「むしろっぱたを、おったてて・・・。」
 
 この言葉を、さめた表情で聞いていた人もいた。でも不思議と自分はそんな気持ちにはなれなかった。
 地域に望まれてできた組合立の学校が、また、地域の人たちの熱意によって県立高校になっていく・・・。
 アメリカンドリームという言葉があるが、まさにそんな感じで皆野高校は県立高校へと変わっていったような気がする。
 埼玉県にいくつもある県立高校の中で、最も地域の人たちに大事にされた学校ではないかと思った。
 
 そして、県立高校へ・・・・と順風満帆ではなかったらしい・・・県立高校として生まれ変わり、現在の学校ができてからも、先生方そして在校生の苦労はまだ続いた。それはまた次のお話で・・・。