日誌

2012年6月の記事一覧

皆野高校とはその1

 埼玉県立皆野高等学校、いわずと知れた秩父唯一のビジネス専門高校。かつてこの「ビジネス専門高校」は、皆野高校の代名詞であった。ところが最近このビジネス専門高校という言葉を、やたらとあっちこっちで目にする。かつてこの学校に勤務されていた先生方が、移動先でこの言葉を、自分の勤務する学校の代名詞として使っているようだ。ある意味皆野高校が、その教育が全県に知れ渡っていくのだからそれはそれでいいのかもしれません。
 
 ところで、皆さんは皆野高校の歴史をどれだけご存知ですか?特に在学生、卒業生の皆さんは、どうでしょうか?年に一度、文化祭では図書委員会が「みなこう検定」を実施しています。いまだ満点は出ておりません。昨年度の最高得点をたたき出したサトゥ~くんを追い越せる人は、今年出てくるのでしょうか?この検定、誰でも受検できますので文化祭のときにぜひとも挑戦してみてください。
 皆野高校が誕生したのは、昭和41年でした。ずいぶん遠い昔になってしまったように感じますが、秩父の学校の中では一番新しい学校なのです。かつては、現在皆野町役場があったところに校舎がありました。秩父農工定時制皆野分校の校舎を間借りしての授業だったと聞いております。現在役場があるところには、旧中学校の校舎があり、そこを使っての授業、また当時は秩父東高等学校の分校ということで男子40名でのスタートだったこと。地元皆野からは第1期生が入学してこなかったこと、農工の定時制の授業と重ならないようにと配慮し、1時間を80分で行い1日4時間という時間割だったことなど・・・。当時皆野高校で学ばれた先輩たちならば知っていることですが、在校生や若い世代の卒業生にはピンと来ないことでしょう。現在のところに移動してきて、最初の体育の授業は、グランド整備だったことを知っていますか?今在校生が使っているグランドは、先輩たちが暑い日差しの中一生懸命整地したんですよ。
 これから数回に分けて、皆野高校にまつわる様々なエピソードを紹介します。これは文責大野(昭和56年4月入学、優秀な成績を収めて?59年3月卒業)が、20周年記念誌と皆野高校の生き字引、弓道部顧問だった関根先生に取材を行い、まとめたものです。
 昭和56年の開校記念日の前日、全校集会がありました。その中で皆野高校はどんな風に誕生したのか、今までの歴史を振り返りながら全校生徒に先生が話をしてくれました。皆野高校という名前にプライドを持っていられるのはそのとき聞いた先輩たちのエピソードに胸を打たれた部分が大きいなと最近感じております。ですので、ここでそういったことをまとめておきたいと思いました。在校生のみなさんも、これから紹介するエピソードを読んで、皆野高校に誇りを持って生活をしてもらいたいと思います。
 皆野高校誕生は、昭和41年。組合立秩父東高等学校皆野分校として誕生しました。ここで組合立という言葉が登場しますが、組合立とは以下のとおりです(ウキより抜粋)
 
特別地方公共団体たる一部事務組合が設置する公立の高等学校。組合立高校、組合立高と略されることも。本項で詳細を述べる。

県の教育委員会(以下、「県教委」)が管轄する。

 

高等学校の設立を必要とする市町村が地方自治法に規定する一部事務組合である学校組合を結成することにより設立される。
 とウィキペディアにはこのように書かれています。そうです、秩父東高校と、皆野高校は、秩父地域に必要とされてできた学校なのです。埼玉県が、ここに高校つくるよ!!とできたほかの学校とは誕生の経緯がまったく違うのです。つまり、在学生の皆さん、皆さんはこの地域で唯一つ、地域に必要だといわれ誕生し、今でも存続している学校の生徒なんだということになります。
 さて、それではいつから県立高校になったのか?その経緯は?それを語るには、長く苦しいたくさんの人たちの努力があったのです。そのお話は、また次の機会に・・・。