閉校舎となりましたが、まだまだ書込を継続中

毎日更新「輝く皆高」デイリーニュース

令和8年度関東地区高等学校PTA連合会大会が開催

本日、第72回関東地区高等学校PTA連合会大会群馬大会が開催されます。
大会プログラム(PDF)へリンク。

昨年、7月11日(金)12日(土)には埼玉大会が大宮ソニックシティで開催されました。地元開催ということで、本校からもPTA・後援会の皆さまに役員としても協力いただきました。

昨年度の関東大会の様子

 今年度は、関係ないと思われるかもしれませんが、皆野高校関係者も今年度の大会次第にもありますように、10:00からの表彰を受けます。 詳細は後日紹介させていただきます。

熊鈴

今年は熊の出没が多くて怖いですね!
とはいっても、昔から熊は山奥には住んでいます。
以前も、秩父の山では熊の出没情報はありました。でも、近頃は本当に多いですね。

昨年度も、事実かどうかは確認できませんが皆野町大渕、皆野高校の裏手で熊の目撃情報、というヤフーニュースが流れたこともありました。見間違え!?と言っている方も多くいたようです。特に問題はありませんでした。

県教育委員会から必要に応じて、児童・生徒への対策として熊鈴を持たせる、などという連絡文書も来ていました。

皆野高校商品開発、販売実習。
色々な場所で色々な方と一緒に出店しました。そんな中、横瀬町「たいみつや」さんの隣で出店。お話しすると皆野高校ホッケー部の卒業生ということです。シングルコーヒー豆、マヌカハニーなど蜂蜜関連商品、皮小物やアクセサリー、ブコーさんステッカーなど様々な物を扱っているカワイイお店でした。生徒たちが販売に元気がない、とハッパをかけていただき、一緒に大きな声で販売PRもしていただきました。

そのお店に並んでいた、注目商品!
手作りの熊鈴、1つ1つ手作りで個数限定ということで個人的に購入させたいただきました。お散歩するときは熊鈴を!
皆野高校には素敵な先輩がたくさんいらっしゃいます!

【ミューズパークでブコーさん付の熊鈴を撮影してみました】

(つづき)実は、あの坂で!

令和6年度には、大雨の影響で、この坂の周りの樹木が倒れて電線に覆いかかるという事故がありました。


ご近所に迷惑かけることなく、業者対応により伐採などして解決させました。
すぐ近くには鳥居もありました。

大事にならなく、ホッとした案件でした。

思い出の場所3-2

坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。昨日、校門前の県道・長生荘へ降りる坂道について書き込まさせていただきました。

しかし、移転当初の約15年ほどは、もう一つの坂がありました。
6月26日の後半にも書き込みましたが5期生の先輩が、当時の思い出写真を編集し懐かしい動画を文化祭で公開したなかにも含まれていた「もうひとつの坂」について掲載します。

いつから、この坂が閉鎖されたのか今のところ詳細は分かっていません。出入り口にはカギがかけられています。

この坂です!

 皆野中学校方面から栗谷瀬橋を渡り、国神郵便局・国神交差点を通り過ぎ、橋を渡った後は、道が狭くなり危険なので、左折して迂回する道が通学路になっていました。しかし、大渕へ移転当初の時代は、左折せず直進。今は八潮守屋建設株式会社がある裏の急坂を登って登校していました。登りきるとグラウンドに出ます。

この坂です(皆野高校の敷地です)令和7年度撮影。

この坂を登って、どう昇降口へ向かったかというと!

 昇降口へは、下記写真の赤線のようにグラウンドを横切って向かいました。下記写真は、弓道場のところに工事車両もあります。弓道場がこの場所に移転したのは昭和55年6月ですので、その頃の写真と思われます。


この赤線のように坂を登り、グラウンド横切って登校した時代もありました(写真は令和7年1月撮影)。
雨の日にグラウンドを横切るのは、水溜まりが多く大変だったということです!

この坂から栗谷瀬橋(昭和38年11月開通)方面を撮影した写真
(皆野高校開校前)

 【 写真提供・皆野駅前、大和屋カメラ様 】

(明日へ、つづく)

思い出の場所3-1

坂・・・
昭和45年、大渕の高台、秩父盆地を一望に見渡す景観を誇る場所に建てられた皆野高校。美の山・武甲山もよくみえます。北には宝登山がそびえています。
【閉校舎式記念品のハガキより】

皆野高校へ登校するには坂を登ります。記念誌などの寄稿にも様々な掲載があります。例えば、
・多くの若者が朝日を背に坂道を登って登校し、1日の授業や部活動を終えると、夕日に輝く荒川と美の山を眺めながら坂を下って下校していった。
・自転車登校時、立ちこぎをしても登りきることができなかった思い出の急坂!
・朝早く朝練習へ参加するために登校して登る坂の辛さ!(練習イヤだーの気持ちの辛さですが)
・校内合宿で食事場所の食堂が坂の下にあり、食事後の学校に歩いて戻るときの辛さ!
・体育の授業で、皆高名物「山かけ」で、この最後の急坂の苦しさ!
・帰りに急坂を自転車で下ってブレーキが間に合わなく墓に突っ込んだり、対向車を傷つけてしまった事!(その後、坂を自転車で下るときは自転車に乗らず歩きで自転車を転がす、という下校指導が入った時期もある)

この小高い丘の上に建てられた皆野高校(がゆえに、映画のロケ地としても皆野高校が使われました、後日再掲載します!)。

この地域は上殿(うわどん)という地名。
学校ができる前は、山の斜面に栗林や桑畑、コンニャク畑があり「農薬散布用の無人ヘリコプターが飛んでいた」という話も聞きました。【上殿に対して、県道から下の地域は下殿(しもどん)という地名】

昭和43年度、この地が新校舎の候補地となり、最初に視察に来たときは背丈ほどある草が繁っており、露草をかき分け、すすき越しに眺めた、という記録もあります。この荒川左岸、大渕の丘の畑地を最終候補地と定め連日にわたり夜を徹した交渉が進められたのです。その後、町当局が用地買収交渉に入り、幾多の困難を乗り越えて移転、その後56年間の皆野高校安住の地となりました。

(つづく)